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中国うるるん研修記@南陽 



しかし、某国のように「子どもや自分の手足」をわざと切り落としたり、
ボロボロの服を着て外国人相手の物乞いをする人を見かけません
でした。それは外国人はほとんど訪れない内陸の田舎町でもある
ためだと思います。


広州から飛行機で2時間の場所に位置する南陽は700万人
も人口がいる内陸の都です。
気候は温暖で、日本で言えば九州、福岡あたりの気候に
似ているようです。

空港に降りたときには「インドネシアあたり」の小さな島に降り立った
気分でした。空港近辺は瓦礫の中に「これっ人が住んでるの?」という
ような今にも壊れそうな住居で生活している人々が見受けられ「どんな
田舎に来てしまったんだろう」とびびってました。

この像は針灸・漢方を志す者にとって神様のような存在の「張仲景」老師です。
ここ南陽はこの偉大な老師を輩出した場所でありました。
実は張仲景師は政治家だったようですが、『傷寒雑病論』という医学書の
著者として歴史に残る人物なのです。
老師の足元には及びませんが、少しでも近づけるようにと足元で写真を
撮ってきました。


ここは「三国志」で有名な諸葛亮孔明が三顧の礼」(三度の訪問)を
行った場所であるとされています。


千年に一人と言われるの名軍師。政治面でも軍事面でも非凡な才能を
発揮し、神の如き知略で劉備を支え遂に建国を成し遂げたそうです。
 若くして天下に臥龍と称されて臥竜岡の草盧で晴耕雨読の生活を
送っていたそうで、その折に、戦略的な参謀をさがしていた劉備
三顧の礼」(三度の訪問)によってその人柄に惚れ込み仕える事と
なるそうです。

さて、この三顧の礼」が曲者で、ここ南陽では何でも「三」ということにこだわります。今回、
南陽での宴席では招待された側が必ず「三杯」の白酒(ぱいちゅ)を一気に飲まなくては
いけないと、(勝手に)理由付けられ、わたしたちは泣く泣く60度に近い白酒というお酒を
三杯も飲まされたのでした。
(「わたしたち」と言っても、実はわたしは幸いにも含まれていません。)

そして、それが3回へと・・・。←ってことは9杯も飲まなくてはいけない人も出てくるわけですよ。

(北京では必ずどちらかがつぶれるまで飲まされるそうですね。)

そんな田舎町でも街の中心部にでればネオンがきらめき、華やかな
雰囲気がありました。

南陽について